都市の発展と不動産市場

都市の発展と不動産市場

経済成長と都市の開発

わが国の経済は、第2次世界大戦後、 1972年度まではおおむね10%程度の高い成長率で発展してきた。その後、第l次オイルショック後1976-85年度には3。5%、 1986-90年度4。8%、1991-95年度1。3%と、低水準へ落ちてきたが、それでも1996年の国民総支出は1990年価格で、終戦時の1947年に比べると22倍、1960年に比べても6。9倍と巨大な規模になっている。

このような日本経済の成長は、工業がより高度なものへと発展し、生産性を高め、それとともに流通、金融、情報など第3次産業が伸長し、わが国の産業がより高度化することによって可能となったのである。

ところで、この工業など第2次産業、第3次産業の伸長は、地域的には都市への産業の集積でおり、都市人口の増加、また就業人口の増加、すなわち都市の成長であった。そしてわが国の場合には、東京圏、大阪圏、名古屋圏へ産業および人口が集中したのである。

この都市の成長を可能にしたのは、それまでの農業を中心とした土地利用から都市的土地利用への転換であった。経済が成長し、都市が成長していくには、土地利用の転換がいかに激しかったかは、全国で1975年から94年の19年間に、農用地が59万ヘクタール減少(75年の10。2%減)し、宅地が44万ヘクタール増加(75年の35。%増)していることからもみることができょう。

この土地利用の転換は三大都市圏ではさらに顕著にすすんでいるところで、この土地利用の転換、宅地面積の増加のためには、宅地開発、都市再開発など都市開発がすすめられねばならない。そのためには住宅(都市整備)公団、地方住宅供給公社、民間デイベロツパーによる都市の開発事業がすすめられねばならなかった。さらにこのような都市の開発整備には道路等公共施設の整備も必要であったことはいうまでもない。

そして開発された土地には、住宅、事務所・庖舗等の建築物が建設されていった。『建築統計年報』によると、 1951年の住宅着工戸数は全国で22万戸、 1955年度は28万戸にすぎなかったが、 1972年度には186万戸と増え、その後少なくなったとはいえ、おおむね150万戸台を維持して推移している。

また事務所など非住宅建築物の着工床面積をみると、 1954年には1568万平方メートルにすぎなかったが、 1973年には1万1430万平方メートルに、その後減少はしたが、パフ’ル期に増大し、さらにバブル崩壊後減少したとはいえ1995年には8330万平方メートルという高い水準で推移している。

ストック面でみると、このような建築着工で住宅戸数は、 1948年に1391万戸、1958年3106万戸、 1993年4588万戸に増加している(、住宅統計調査J)。 また事務所・庖舗の床面積(延べ建築面積)は、全国で1975年の2万1123ヘクタールから1992年の5万3770ヘクタールへと増加している。

このような住宅の建設は、地方公共団体、住宅都市整備公団等公的機関のほか、民間のディベロツパー、建設会社によって都市の整備とあわせて行われてきた。経済、そして都市が成長していくには、民間ディベロツパー等によって都市の開発、住宅の建設、事務所・店舗等の建設がすすめられねばならなかったのである。

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