不動産業はいかにして発展してきたか

不動産業はいかにして発展してきたか

不動産業の起こり

ディベロツパーによる都市の開発は、宅地を造成し、造成後は、分譲(販売)し、また賃貸ビルや賃貸住宅などを建設し、経営していくことにある。

不動産の開発・分譲、売買等の仲介(流通)、賃貸・管理を業として行う産業を「不動産業」というならば、ディベロッパーは不動産業者である。以下では不動産業がどのように発展してきたかをみよう(以下は、蒲池紀生『日本の不動産業』日本経済新聞社、 1969年、によるところが大きい)。

土地・建物の売買等の仲介を業とする不動産業者が現われたのは明治中期ごろからとみられているが、それは町の世話役、個人金融業者だった者が副次的に行ってきた仲介が専門化したものである。開発や分譲を業として行う者は、その源流から次の3つのグループがあり、それは現在に至っている。

①財閥・大地主・富商の家産管理、土地経営から発生したもの:三井家の家産等を管理した三井合名不動産課が、昭和16 (1941) 年に独立、三井不動産になった。明治27年、三菱合資に地所部が設けられ、昭和12年、独立して三菱地所となった。その他、住友→住友不動産、安田→東京建物など、旧財閥系から不動産会社が生まれた。

②私鉄の沿線開発から発生したもの:明治以降設立の大手私鉄の多くが、沿線地域で住宅地や行楽地(レジャー施設)の開発経営を進めた。

③中堅業者による宅地造成・建売住宅業として発達したもの:私鉄の沿娘開発に続いて、大正中期から、中堅クラス業者による宅地造成・分譲業者が出現、また、建設業の流れがこの分野に参入して建売住宅業も登場してきた

開発事業に傾斜、新たな不動産流通一一1980年代前半まで

大正時代には、郊外開発が私鉄や中堅級業者によって各地ですすめられた。昭和初期から10年ほどの聞に、東京では丸の内ビルなどに続いて、日本橋の三井のビル群等が出現し、財閥や大企業による市街地での不動産経営が本格化してきた。

一方、仲介・売買の流通を主業務とする中小業者はこの時期に増え出した。第2次世界大戦終了直後の住宅不足は、戦災復興院(のち建設院から昭和23年に建設省となる)の調べによると、全国で約420万戸とされていた。政府は応急住宅等の建設に努めたが、昭和24年までに修理を含めて約51万戸の建設にとどまった。

業務を再開した東京などの不動産業者が売り家・土地の庖頭広告をすると、人々が長い列をつくったという。郊外の宅地開発業も徐々に再開された。こうした住宅事情下で不動産業者数も増大し、取引も活発化したが、増大した業者には悪徳あるいは未熟な業者がいて各地でトラブルが多発し、社会問題化した。

このような状況の下で昭和27(1952)年議員提案で「宅地建物取引業法」が制定された。同法は業者の登録制、建設大臣・都道府県知事の業者監督等を定めたものである。

1950年代後半になると、大都市圏への人口・産業の集中が著しくすすみ、宅地需要が増え、宅地の造成・分譲が活発化した。さらに1960年代前半には、私鉄と中堅級業者が担当していた宅地・建売住宅分譲に、大手不動産も参入してきた。

1960年代からは民間の分譲マンションも登場した。民間マンションは当初は高級物件で購入者も高所得層に限られていたが、 60年代後半に入ると中堅層向けのものも供給されはじめ、その建設戸数は急増した。

1960年代後半の高度成長期には、不動産市場は大きく成長し、大手不動産会社は、この時期にとくに開発事業を積極化して、民間ディベロツパーとして大型プロジェクトに取り組んだ。しかし、 1963年秋の第1次オイルショック、その後の不況で、不動産市場は深刻な低迷状態となった。それで、も、 1970年代後半から住宅金融公庫融資の拡充等でマンションをはじめ住宅需要は回復し、マンション・ブーム期に入った。1980年代になると、買い換え需要が増加し、中古住宅市場の成長が期待され、大手不動産等が流通市場にも参入してきた。大手は、自社の多庄舗展開をとるものと、フランチャイズ・チェーン(FC) を展開するものとがあった。このような状況の下でいままでの中小の不動産業者の狭い閉鎖的な市場では対応できなくなり、不動産流通機構の整備が課題となり、「指定流通機構」が設立されていった。

バブル期からバブル崩壊へ

1985年前後になると、市街地再開発によって、東京など大都市におけるビル建設が活発となり、「民活」都市再開発、ウォーター・フロント(東京湾沿岸地帯)の大規模開発プロジェクトがすすめられた。

地価の異常高騰の聞には、大都市で強引な地上げ、土地ころがし等の現象も発生し、社会問題化した。また、この時期、不動産会社はビル投資、ビル経営に積極的に乗り出した。さらに一部の企業は生命保険会社等とともに、米国を中心とする海外不動産投資(主としてビル)を展開した。

一方、農家等の土地所有者は、地価急騰のもとで、相続税対策を目的とした土地の有効活用策をすすめたが、これのコンサルタンテイング、経営指導等に不動産業者も参画していった。

さらに、資産家の節税対策を組み合わせた不動産投資用として、不動産業者は都内のワンルーム・マンションから地方都市でのアパート、マンションの一棟買いの販売を行い、さらには、米国をはじめとする海外不動産商品の仲介といった業務に進出していった。

しかし、バブルの崩壊、地価の大幅な下落、景気後退によるテナント需要の減退等によって、不良債権が広範囲に発生した。

またこの時期には、不動産会社がビル等の不動産の共有持分権を不動産小口化商品として発売した。小口化商品にはビル等の共有持分権を信託銀行に信託する信託型等があるが、この方法で多数の投資家等が不動産に投資でき、不動産会社はそれから資金を調達できる。

平成8 (1996)年6月「不動産特定事業法」が制定されたが、これは不動産小口化商品などによって事業を営むものを許可制とし、不動産小口化商品等による損害を防止しようとするものである。このようにワンルーム・マンションをはじめ、一般市民が不動産投資ができるようにしたもので、不動産市場が拡げられた。

以上のように、わが国の不動産業は、これまでの大規模開発の時代は終わり、都市部の劣悪木造民間賃貸住宅の建て替え、狭小劣悪商店街の再開発など、都市再生のための事業に地方公共団体と協力・連携して参画していくことが大きな課題となってきている。

また、中古住宅の流通が大きな市場となっていこう。さらに新築投資のみならず中古住宅投資にも、不動産小口化商品等の不動産の証券化による新たな不動産市場の育成が大きな課題となっていこう。

不動産業とは

ここで不動産業についてまとめておこう。不動産業は、不動産の開発・分譲業、流通業、賃貸業および管理業をいう。

このうち、不動産の分譲業および流通業が宅地建物取引業であるr宅地建物取引業法」の定義によれば、宅地建物取引業とは、①宅地または建物の売買、②宅地または建物の交換、③宅地または建物の売買、交換または賃借の代理、④宅地または建物の売買、交換または賃借の媒介のいずれかを業として行うものをいう(宅地建物取引業法第2条2号)。

宅地建物取引業者数は、 昭和40年(1965)度末に3万9674業者、 50年(1975)度末に8万8122業者であったが、平成6年(1994)度末には14万2143業者となっており、大幅に増加してきている。以下、不動産業の事業内容および経営規模について詳しくみてみよう。

不動産業の事業内容

不動産の開発・分譲業

開発・分譲業は、住宅・宅地等を建築・造成し、これを消費者に分譲するものであり、いわゆるデイベロツパーといわれている。宅地供給量については、公的供給が約3割、民間供給が約7割となっており、

この7割の大部分が不動産業によるものと考えられる。民間の宅地供給は、 1973年にピーク(年間1万8300ヘクタール)を迎えた後は、減少傾向にあり、ここ十数年は7000ヘクタール~9000ヘクタールの間で横ばい気味になっている。分譲住宅の着工戸数については、一戸建てとマンションを合わせて、おおむね年間30万戸程度で推移している。

②不動産流通業

不動産流通業は、不動産の売買、賃貸借の仲介・代理を行うもので、業者の規模としては、比較的中小の業者が多く、地域密着性が高い。不動産流通業は、物件情報の的確な提供と不動産取引におけるサービスを提供する仕事が中心だが、それに必要な不動産流通市場の情報については、平成2 (1990)年5月に「指定流通機構制度」が実施されたことにより、その整備が進んでいる。

③不動産賃貸業

不動産賃貸業は、住宅、事務所、ビル等の賃貸を行うものである。住宅の賃貸業については、全国に約1000万戸の民営借家があることに加え、民間貸家の新設住宅着工戸数もふえているので、さらに拡大しよう。オフィスについては、経済のサービス化、ソフト化、国際化等に伴って、東京都心部を中心に需要は堅調に推移してきた。今後も長期的には供給が増加していくものと思われるので、不動産賃貸業も成長していくとみられる。

④不動産管理業

不動産管理業は、不動産の管理について所有者の役割を代行し、その業務は、不動産経営の企画、賃借入の募集、家賃・管理費等の経理、建物設備のメンテナンス、防犯や居住者の苦情処理など多岐にわたる。不動産ストックの増大と多様化がすすみ、不動産を適切に利用するための業務が複雑かつ専門的になっているため、不動産管理はきわめて重要な業務である。不動産管理業は、賃貸住宅管理業、マンション管理業、ピル管理業の三つの分野に分けられる。

分化している不動産業の経営規模

1991年の総務庁「事業所統計調査」によると、 1991年7月1日現在で不動産業の民営事業所は28万7269ある。従業者規模別にみると、 5人未満が85。9%を占め、 5~10人が10。1% 、 10人以上は4%のl万1559にすぎない。これは流通業が零細なものが多いからであり、同調査で業態別に1事業所当たり従業者数をみると、不動産業は3。2人、代理・仲介業で4。1人となっている。このように同じ不動産業といっても、開発・分譲の大手と零細な仲介業に分かれている。

都市の発展と不動産市場

都市の発展と不動産市場

経済成長と都市の開発

わが国の経済は、第2次世界大戦後、 1972年度まではおおむね10%程度の高い成長率で発展してきた。その後、第l次オイルショック後1976-85年度には3。5%、 1986-90年度4。8%、1991-95年度1。3%と、低水準へ落ちてきたが、それでも1996年の国民総支出は1990年価格で、終戦時の1947年に比べると22倍、1960年に比べても6。9倍と巨大な規模になっている。

このような日本経済の成長は、工業がより高度なものへと発展し、生産性を高め、それとともに流通、金融、情報など第3次産業が伸長し、わが国の産業がより高度化することによって可能となったのである。

ところで、この工業など第2次産業、第3次産業の伸長は、地域的には都市への産業の集積でおり、都市人口の増加、また就業人口の増加、すなわち都市の成長であった。そしてわが国の場合には、東京圏、大阪圏、名古屋圏へ産業および人口が集中したのである。

この都市の成長を可能にしたのは、それまでの農業を中心とした土地利用から都市的土地利用への転換であった。経済が成長し、都市が成長していくには、土地利用の転換がいかに激しかったかは、全国で1975年から94年の19年間に、農用地が59万ヘクタール減少(75年の10。2%減)し、宅地が44万ヘクタール増加(75年の35。%増)していることからもみることができょう。

この土地利用の転換は三大都市圏ではさらに顕著にすすんでいるところで、この土地利用の転換、宅地面積の増加のためには、宅地開発、都市再開発など都市開発がすすめられねばならない。そのためには住宅(都市整備)公団、地方住宅供給公社、民間デイベロツパーによる都市の開発事業がすすめられねばならなかった。さらにこのような都市の開発整備には道路等公共施設の整備も必要であったことはいうまでもない。

そして開発された土地には、住宅、事務所・庖舗等の建築物が建設されていった。『建築統計年報』によると、 1951年の住宅着工戸数は全国で22万戸、 1955年度は28万戸にすぎなかったが、 1972年度には186万戸と増え、その後少なくなったとはいえ、おおむね150万戸台を維持して推移している。

また事務所など非住宅建築物の着工床面積をみると、 1954年には1568万平方メートルにすぎなかったが、 1973年には1万1430万平方メートルに、その後減少はしたが、パフ’ル期に増大し、さらにバブル崩壊後減少したとはいえ1995年には8330万平方メートルという高い水準で推移している。

ストック面でみると、このような建築着工で住宅戸数は、 1948年に1391万戸、1958年3106万戸、 1993年4588万戸に増加している(、住宅統計調査J)。 また事務所・庖舗の床面積(延べ建築面積)は、全国で1975年の2万1123ヘクタールから1992年の5万3770ヘクタールへと増加している。

このような住宅の建設は、地方公共団体、住宅都市整備公団等公的機関のほか、民間のディベロツパー、建設会社によって都市の整備とあわせて行われてきた。経済、そして都市が成長していくには、民間ディベロツパー等によって都市の開発、住宅の建設、事務所・店舗等の建設がすすめられねばならなかったのである。