不動産業界の売却戦略

裾野の広い戸建て住宅開発業界

戸建て住宅業界の裾野は非常に広い。戸建て住宅を作る住宅メーカー、建設会社、工務盾のみならず、広義には、住宅用の建材・外装材、住宅設備機器、内装材などのメーカー、内装工事業者なども含まれる。本書では同業界を前者、すなわち住宅そのものを建設する住宅メーカー、建設会社、工務屈などを指すこととする。

戸建て住宅業界に所属する事業者の数については正確な統計は存在しない。ここでは、仮に建築業という枠組みでそのおおよその数を把握するとすれば、総務省の経済センサス(基幹統計調査)の2009年の基礎調査によると、建設業の事業所数は約問万3000社で、全産業に占める割合は9・7%、従業員数は432万人で同割合は6・9%となっている。

いずれもほかの産業との比較において、相対的にシェアが高い業種に分類される。しかし実数値自体はここ数年減少傾向にある。

参入障壁の低い市場分散型業界

あらためて業界の事業モデルや現状の市場環境を僻敵すると、その理由が見えてくる。第一に同業界は参入・退出コストが低く、規模の経済性効果を事受しにくい労働集約型のビジネスモデルであるという点が挙げられる。

たとえば、大手事業者がスケール・メリット(規模の効果)を生かして原価を抑えたとしても、営業担当者の人件費、展示会場の固定費、広告宣伝費などの販促費がかさむことから、地場の工務庖などと比較しても大きなコスト・メリットが出しにくい。

逆にいえば、それがゆえに業界内プレーヤーの数が過度に増え、各社の市場シェアはきわめて低くなる。実際、業界トップ企業の積水ハウスでさえその値は4%程度。典型的な市場分散型業界といえる。

戸建て住宅の新規着工は直近ピーク時の半分程度

一方で、近年の業界を取り巻く市場環境はきわめて厳しい。これまで見てきたように、マクロ環境レベルでは人口減少、少子化、世帯数の伸び率低下、分譲マンション市場の拡大、賃貸向け住居の品質向上などの理由により、戸建て住宅の開発戸数は減少している。

国土交通省の建築着工統計調査によれば、戸建て住宅(持ち家+分譲住宅における戸建て)のみの新設住宅着工戸数は1996年に直近のピークとなる年間河万戸を達成した以降は、一貫して下落傾向にあり、最新の2010年は約10万戸まで減少した。

直近の市場縮小の主な要因として、2007年に施行された改正建築基準法による建築確認申請手続きの厳格化に加え、金融危機の影響による個人消費の低迷などが挙げられる。また、2009年6月には長期優良住宅購入者に税制、融資などの面で優遇措置を与える「長期優良住宅の普及の促進に関する法律」が施行されたことを受け、今後買い替え需要も縮小する可能性が高い。不動産査定依頼は、机上(簡易)査定と訪問(詳細)査定を使い分けることも重要になってきます。

さらに中・長期的に見ても、住宅最大の購入者層である初代から却代の絶対数は減少傾向にあり、将来にわたって圏内市場が縮小していくことは避けられない状況にある。このように、これまで同業界のビジネスモデルの特質上、拡大し続けてきた事業者やそこで働く従業員数を支え続けてきた底堅い需要が、明らかに縮小し始めているのである。

当然、需要の停滞は供給側の企業の市場からの退出を促す。これが近年の同業界の事業者数、従業員数の減少の要因であると理解できるのである。

注文住宅市場と分譲住宅市場

さらに業界を深耕してみると、この戸建て住宅開発業は注文住宅と分譲住宅に大別される。企業単位で見れば、どちらかを専門に手がける企業もあれば、その両方を展開している企業、どちらかに優位性を持つ企業などさまざまだが、それぞれの事業モデルは大きく異なる。

注文住宅とはその名のとおり、顧客からの注文(受注)を受け、それから指定された土地に住宅を設計・建築する事業である。形態としては完全受注生産であることから、事業者は基本的に在庫リスクを抱えない。よって住宅業界の中では事業の収益性が比較的安定していることが特徴といえる。

また、注文住宅はカスタマイズ性が高く、事業者聞の価格面での比較が困難なことから、価格競争に陥りにくい。よってブランドイメージからくる信頼性や高付加価値なオプションが重視されやすい。代表的な企業としては、積水ハウス、大和ハウス工業、積水化学工業(セキスイハイム)、住友林業、ミサワホーム、三井ホームなどが挙げられる。

一方、分譲住宅開発は開発事業者が自ら取得した土地に住宅を建築し、土地と住宅を合わせて顧客に販売する事業のことをいう。建築を終えて購入者を募集することから、土地の調達から建物の販売までの期間、土地と建物を事業者が自社保有することになるため、バランスシート(貸借対照表)が拡大し、在庫リスクが高くなる構造となっている。
不動産売却先は大手がいいのか?地元の中小会社がいいのか?という問題も明らかになっている

代表的な企業としては一建設、アーネストワン、飯田産業、東栄住宅などの分譲専業事業者が挙げられる。これらの企業はパワービルダ!とも呼ばれ、分譲住宅および分譲マンションの建築に特化していることが特徴でもある。都心およびその近郊では、開発規模の小さい、いわゆる「ミニ開発」を行っている企業もまた、この市場の主たるプレーヤーである。

住宅地の開発の歴史は古く、わが国においては戦前期の沿線開発による新中間層向けの郊外住宅地が形成されるころまでさかのぼる。高度経済成長期には、大都市圏では既成市街地において低質な木造民営賃貸共同住宅(木賃住宅)地の密集地域のほかに、郊外に向けての住宅地のスプロール化(都市の無秩序な拡大)が進行。

スプロール化した地域には、低質で小規模な戸建て持ち家住宅地、比較的良質な公団住宅、大手民間業者による分譲マンション、戸建て住宅からなる郊外住宅地が形成され、その後、日本のニュータウンが建設されていった。

2000年代の宅地分譲開発市場を傭敵すると、住宅・都市整備公団(現都市再生機構)による住宅建設の郊外団地からの撤退や、大手デイベロッパー(開発業者)による事業の凍結、スケジュールの大幅な遅滞など、事業そのものの見直しが行われている一方、ミニ開発が比較的好調に売れている。

相続税対策による土地の譲渡や分割、大手企業の決算対策などによる寮や社宅用地の譲渡など1000平方メートル前後の土地が市場に出回っている。こうした小規模な用地をさらに狭小に分割し、建て売り住宅を建て販売している例は多い。このような「ミニ開発」は、買い手の視点から見ても、日本人特有の持ち家戸建て偏重主義の流れを受けて、小さくてもご国の城」を築きたいという都心で働くサラリーマンのニーズにマッチした形といえるだろう。しかし、一方でミニ開発は次のような問題を内包している。

たとえば制度面においても、現行の都市計画法では市街化区域における面積1000平方メートル未満の土地の開発行為は、開発許可の対象とならない。よって、なかには居住面積の維持・拡大を目的に3階建てとしている住宅も多く、階段が急こう配であったり、聞取りゃ収納スペースが特殊な形状であったり、きわめて狭小であるなど、居住品質としては低い住宅が多いことも事実である。

それに加え隣棟間隔も狭く、相隣環境が悪化したり、防災上の危険性を有したりするケースも多い。そのほか、当該エリアにおける集中的な狭小住宅の拡大により、街の景観を損ねるケースも少なくない。このように、分譲住宅市場で活躍するプレーヤーには、注文住宅とは異なり、単にウワモノ(家)の品質やコストを注視するメーカー的視点のみならず、開発業者としての不動産的視点や、デイベロッパーとしての知識や経験が必要不可欠であることがわかる。

また、市場の動きを捉える上でも、注文住宅と分譲住宅では若干その動きが異なる。それは先の建築着工統計で見ても明らかだ。注文住宅に該当する持ち家の新設住宅着工戸数は長期的な低迷傾向にある。

新設住宅着工の釘・5%(2010年時点)を占める持ち家は1996年以降、10年聞の年平均成長率はマイナス5・7%で縮小。しかし、直近では市場の縮小は落ち着きを見せ比較的安定して推移している。

一方、新設住宅着工の斜・8%を占める分譲住宅は、1990年から堅調に市場を拡大させており、1996年以降叩年間の年平均成長率は0・8%。ただし、ここ数年で市場は下落に転じており、2007年から4年間で分譲住宅の新設着工戸数はおよそ3分の2の水準にまで縮小している。理由は前述のとおり、この時期に起こった法律の改正や施行の影響が大きい。そういう意味において同業界は建設業法をはじめ、多数の建築関連法令、業界規制の制約を大きく受ける業界でもある。

そのほか、商品性の違いという観点からも分類することができる。それは工法の違いとして「鉄骨系プレハブ」「木質系プレハブ」「ユニット系プレハブ」「ツー・パイ・フォー」「木造軸組」などに分類することができる。

各社、それぞれの工法を得意とする企業が、またその中でも競A品社との激しい競争を繰り広げているのである。部材を前もって包括’)工場で生産し、建築現場で組み立てる工法を総称して「プレハブ工法」と呼ぶ。その中でも、「鉄骨系プレハブ」とは、鉄骨系の材料で柱、梁などの主要な部分を組み立てるものを指す。特徴として、まず工場でパネルを生産することで精度や品質を高く保つことができるという点が挙げられる。

大工の腕に影響されがちな建築を、工場生産により品質を安定的に保つというメリットである。また、工場で生産してから現場で組み立てるため、現場の工期が短く1~2日で柱、外壁、屋根の主要部材が組み上がることも珍しくない。同様に「木質系プレハブ」とは、使用する部材が木質系であるものを指す。

「ユニット系プレハブ」とは、プレハブ工法の工場生産化率をさらに高めた工法であり、住宅の本体だけでなく、諸設備、建具、内装、配管、配線などを組み込んだユニット(部屋)を工場で生産し、現場でこれを合体させる手法を指す。加%以上が工場生産となるため、現場での工期がさらに短縮できるのが最大の特徴である。

「ツー・パイ・フォー工法」とは北米で生まれた工法で、床、壁、天井を「面(パネル)」で箱のような構造体をつくる。これらの「面」は、木材で組まれた枠組みに、構造用合板を貼ったものであり、枠材の断面寸法が2インチ×4インチであることから、「ツー・パイ・フォー(2×4)」という名称が付いた。

ただし、ツー・パイ・フォー以外にも、2インチ×6インチ材、2インチ×10インチ材を使うメーカーもある。この工法は「面」で構造体を支えるため、外部からの力が1カ所に集中せずバランスよく分散されて、地震や台風などの自然災害に強いという点に加え、気密性や断熱性にも優れているため、冷暖房に使うエネルギーコストを節約できるという点が、特徴として挙げられる。

「木造軸組工法」とは日本古来の伝統的な工法で、「在来工法」とも呼ばれる。コンクリートの基礎の上に土台を敷き、その上に柱や梁などをタテ軸、ヨコ軸として組み合わせて家の軸組みをつくり、さらに「筋交い」という斜めの軸材を用いて、地震などに対する建物の耐久性を高める手法である。

最近では、工場であらかじめプレカットした構造部材を使用することで、部材の均質化や省力化が図られている。この工法は、構造上の制約が比較的少ないので、形やデザイン、間取りなど設計の自由度が高く、また変形敷地などへの対応がしやすいことなどが特徴として挙げられる。

さらに、後で増改築がしやすいこともこの工法のメリットのーっとして挙げられる。住宅メーカー各社は、このような工法の違いを1つの商品差別化のファクターとして捉え、各社ともある程度得意な工法に集中する戦略、または工法の違いにもとづき商品ラインナップをある程度揃え、広いニーズに対応する全方位的な戦略のいずれかを選択し、熾烈な顧客獲得競争を繰り広げている。

不動産業はいかにして発展してきたか

不動産業はいかにして発展してきたか

不動産業の起こり

ディベロツパーによる都市の開発は、宅地を造成し、造成後は、分譲(販売)し、また賃貸ビルや賃貸住宅などを建設し、経営していくことにある。

不動産の開発・分譲、売買等の仲介(流通)、賃貸・管理を業として行う産業を「不動産業」というならば、ディベロッパーは不動産業者である。以下では不動産業がどのように発展してきたかをみよう(以下は、蒲池紀生『日本の不動産業』日本経済新聞社、 1969年、によるところが大きい)。

土地・建物の売買等の仲介を業とする不動産業者が現われたのは明治中期ごろからとみられているが、それは町の世話役、個人金融業者だった者が副次的に行ってきた仲介が専門化したものである。開発や分譲を業として行う者は、その源流から次の3つのグループがあり、それは現在に至っている。

①財閥・大地主・富商の家産管理、土地経営から発生したもの:三井家の家産等を管理した三井合名不動産課が、昭和16 (1941) 年に独立、三井不動産になった。明治27年、三菱合資に地所部が設けられ、昭和12年、独立して三菱地所となった。その他、住友→住友不動産、安田→東京建物など、旧財閥系から不動産会社が生まれた。

②私鉄の沿線開発から発生したもの:明治以降設立の大手私鉄の多くが、沿線地域で住宅地や行楽地(レジャー施設)の開発経営を進めた。

③中堅業者による宅地造成・建売住宅業として発達したもの:私鉄の沿娘開発に続いて、大正中期から、中堅クラス業者による宅地造成・分譲業者が出現、また、建設業の流れがこの分野に参入して建売住宅業も登場してきた

開発事業に傾斜、新たな不動産流通一一1980年代前半まで

大正時代には、郊外開発が私鉄や中堅級業者によって各地ですすめられた。昭和初期から10年ほどの聞に、東京では丸の内ビルなどに続いて、日本橋の三井のビル群等が出現し、財閥や大企業による市街地での不動産経営が本格化してきた。

一方、仲介・売買の流通を主業務とする中小業者はこの時期に増え出した。第2次世界大戦終了直後の住宅不足は、戦災復興院(のち建設院から昭和23年に建設省となる)の調べによると、全国で約420万戸とされていた。政府は応急住宅等の建設に努めたが、昭和24年までに修理を含めて約51万戸の建設にとどまった。

業務を再開した東京などの不動産業者が売り家・土地の庖頭広告をすると、人々が長い列をつくったという。郊外の宅地開発業も徐々に再開された。こうした住宅事情下で不動産業者数も増大し、取引も活発化したが、増大した業者には悪徳あるいは未熟な業者がいて各地でトラブルが多発し、社会問題化した。

このような状況の下で昭和27(1952)年議員提案で「宅地建物取引業法」が制定された。同法は業者の登録制、建設大臣・都道府県知事の業者監督等を定めたものである。

1950年代後半になると、大都市圏への人口・産業の集中が著しくすすみ、宅地需要が増え、宅地の造成・分譲が活発化した。さらに1960年代前半には、私鉄と中堅級業者が担当していた宅地・建売住宅分譲に、大手不動産も参入してきた。

1960年代からは民間の分譲マンションも登場した。民間マンションは当初は高級物件で購入者も高所得層に限られていたが、 60年代後半に入ると中堅層向けのものも供給されはじめ、その建設戸数は急増した。

1960年代後半の高度成長期には、不動産市場は大きく成長し、大手不動産会社は、この時期にとくに開発事業を積極化して、民間ディベロツパーとして大型プロジェクトに取り組んだ。しかし、 1963年秋の第1次オイルショック、その後の不況で、不動産市場は深刻な低迷状態となった。それで、も、 1970年代後半から住宅金融公庫融資の拡充等でマンションをはじめ住宅需要は回復し、マンション・ブーム期に入った。1980年代になると、買い換え需要が増加し、中古住宅市場の成長が期待され、大手不動産等が流通市場にも参入してきた。大手は、自社の多庄舗展開をとるものと、フランチャイズ・チェーン(FC) を展開するものとがあった。このような状況の下でいままでの中小の不動産業者の狭い閉鎖的な市場では対応できなくなり、不動産流通機構の整備が課題となり、「指定流通機構」が設立されていった。

バブル期からバブル崩壊へ

1985年前後になると、市街地再開発によって、東京など大都市におけるビル建設が活発となり、「民活」都市再開発、ウォーター・フロント(東京湾沿岸地帯)の大規模開発プロジェクトがすすめられた。

地価の異常高騰の聞には、大都市で強引な地上げ、土地ころがし等の現象も発生し、社会問題化した。また、この時期、不動産会社はビル投資、ビル経営に積極的に乗り出した。さらに一部の企業は生命保険会社等とともに、米国を中心とする海外不動産投資(主としてビル)を展開した。

一方、農家等の土地所有者は、地価急騰のもとで、相続税対策を目的とした土地の有効活用策をすすめたが、これのコンサルタンテイング、経営指導等に不動産業者も参画していった。

さらに、資産家の節税対策を組み合わせた不動産投資用として、不動産業者は都内のワンルーム・マンションから地方都市でのアパート、マンションの一棟買いの販売を行い、さらには、米国をはじめとする海外不動産商品の仲介といった業務に進出していった。

しかし、バブルの崩壊、地価の大幅な下落、景気後退によるテナント需要の減退等によって、不良債権が広範囲に発生した。

またこの時期には、不動産会社がビル等の不動産の共有持分権を不動産小口化商品として発売した。小口化商品にはビル等の共有持分権を信託銀行に信託する信託型等があるが、この方法で多数の投資家等が不動産に投資でき、不動産会社はそれから資金を調達できる。

平成8 (1996)年6月「不動産特定事業法」が制定されたが、これは不動産小口化商品などによって事業を営むものを許可制とし、不動産小口化商品等による損害を防止しようとするものである。このようにワンルーム・マンションをはじめ、一般市民が不動産投資ができるようにしたもので、不動産市場が拡げられた。

以上のように、わが国の不動産業は、これまでの大規模開発の時代は終わり、都市部の劣悪木造民間賃貸住宅の建て替え、狭小劣悪商店街の再開発など、都市再生のための事業に地方公共団体と協力・連携して参画していくことが大きな課題となってきている。

また、中古住宅の流通が大きな市場となっていこう。さらに新築投資のみならず中古住宅投資にも、不動産小口化商品等の不動産の証券化による新たな不動産市場の育成が大きな課題となっていこう。

不動産業とは

ここで不動産業についてまとめておこう。不動産業は、不動産の開発・分譲業、流通業、賃貸業および管理業をいう。

このうち、不動産の分譲業および流通業が宅地建物取引業であるr宅地建物取引業法」の定義によれば、宅地建物取引業とは、①宅地または建物の売買、②宅地または建物の交換、③宅地または建物の売買、交換または賃借の代理、④宅地または建物の売買、交換または賃借の媒介のいずれかを業として行うものをいう(宅地建物取引業法第2条2号)。

宅地建物取引業者数は、 昭和40年(1965)度末に3万9674業者、 50年(1975)度末に8万8122業者であったが、平成6年(1994)度末には14万2143業者となっており、大幅に増加してきている。以下、不動産業の事業内容および経営規模について詳しくみてみよう。

不動産業の事業内容

不動産の開発・分譲業

開発・分譲業は、住宅・宅地等を建築・造成し、これを消費者に分譲するものであり、いわゆるデイベロツパーといわれている。宅地供給量については、公的供給が約3割、民間供給が約7割となっており、

この7割の大部分が不動産業によるものと考えられる。民間の宅地供給は、 1973年にピーク(年間1万8300ヘクタール)を迎えた後は、減少傾向にあり、ここ十数年は7000ヘクタール~9000ヘクタールの間で横ばい気味になっている。分譲住宅の着工戸数については、一戸建てとマンションを合わせて、おおむね年間30万戸程度で推移している。

②不動産流通業

不動産流通業は、不動産の売買、賃貸借の仲介・代理を行うもので、業者の規模としては、比較的中小の業者が多く、地域密着性が高い。不動産流通業は、物件情報の的確な提供と不動産取引におけるサービスを提供する仕事が中心だが、それに必要な不動産流通市場の情報については、平成2 (1990)年5月に「指定流通機構制度」が実施されたことにより、その整備が進んでいる。

③不動産賃貸業

不動産賃貸業は、住宅、事務所、ビル等の賃貸を行うものである。住宅の賃貸業については、全国に約1000万戸の民営借家があることに加え、民間貸家の新設住宅着工戸数もふえているので、さらに拡大しよう。オフィスについては、経済のサービス化、ソフト化、国際化等に伴って、東京都心部を中心に需要は堅調に推移してきた。今後も長期的には供給が増加していくものと思われるので、不動産賃貸業も成長していくとみられる。

④不動産管理業

不動産管理業は、不動産の管理について所有者の役割を代行し、その業務は、不動産経営の企画、賃借入の募集、家賃・管理費等の経理、建物設備のメンテナンス、防犯や居住者の苦情処理など多岐にわたる。不動産ストックの増大と多様化がすすみ、不動産を適切に利用するための業務が複雑かつ専門的になっているため、不動産管理はきわめて重要な業務である。不動産管理業は、賃貸住宅管理業、マンション管理業、ピル管理業の三つの分野に分けられる。

分化している不動産業の経営規模

1991年の総務庁「事業所統計調査」によると、 1991年7月1日現在で不動産業の民営事業所は28万7269ある。従業者規模別にみると、 5人未満が85。9%を占め、 5~10人が10。1% 、 10人以上は4%のl万1559にすぎない。これは流通業が零細なものが多いからであり、同調査で業態別に1事業所当たり従業者数をみると、不動産業は3。2人、代理・仲介業で4。1人となっている。このように同じ不動産業といっても、開発・分譲の大手と零細な仲介業に分かれている。

都市の発展と不動産市場

都市の発展と不動産市場

経済成長と都市の開発

わが国の経済は、第2次世界大戦後、 1972年度まではおおむね10%程度の高い成長率で発展してきた。その後、第l次オイルショック後1976-85年度には3。5%、 1986-90年度4。8%、1991-95年度1。3%と、低水準へ落ちてきたが、それでも1996年の国民総支出は1990年価格で、終戦時の1947年に比べると22倍、1960年に比べても6。9倍と巨大な規模になっている。

このような日本経済の成長は、工業がより高度なものへと発展し、生産性を高め、それとともに流通、金融、情報など第3次産業が伸長し、わが国の産業がより高度化することによって可能となったのである。

ところで、この工業など第2次産業、第3次産業の伸長は、地域的には都市への産業の集積でおり、都市人口の増加、また就業人口の増加、すなわち都市の成長であった。そしてわが国の場合には、東京圏、大阪圏、名古屋圏へ産業および人口が集中したのである。

この都市の成長を可能にしたのは、それまでの農業を中心とした土地利用から都市的土地利用への転換であった。経済が成長し、都市が成長していくには、土地利用の転換がいかに激しかったかは、全国で1975年から94年の19年間に、農用地が59万ヘクタール減少(75年の10。2%減)し、宅地が44万ヘクタール増加(75年の35。%増)していることからもみることができょう。

この土地利用の転換は三大都市圏ではさらに顕著にすすんでいるところで、この土地利用の転換、宅地面積の増加のためには、宅地開発、都市再開発など都市開発がすすめられねばならない。そのためには住宅(都市整備)公団、地方住宅供給公社、民間デイベロツパーによる都市の開発事業がすすめられねばならなかった。さらにこのような都市の開発整備には道路等公共施設の整備も必要であったことはいうまでもない。

そして開発された土地には、住宅、事務所・庖舗等の建築物が建設されていった。『建築統計年報』によると、 1951年の住宅着工戸数は全国で22万戸、 1955年度は28万戸にすぎなかったが、 1972年度には186万戸と増え、その後少なくなったとはいえ、おおむね150万戸台を維持して推移している。

また事務所など非住宅建築物の着工床面積をみると、 1954年には1568万平方メートルにすぎなかったが、 1973年には1万1430万平方メートルに、その後減少はしたが、パフ’ル期に増大し、さらにバブル崩壊後減少したとはいえ1995年には8330万平方メートルという高い水準で推移している。

ストック面でみると、このような建築着工で住宅戸数は、 1948年に1391万戸、1958年3106万戸、 1993年4588万戸に増加している(、住宅統計調査J)。 また事務所・庖舗の床面積(延べ建築面積)は、全国で1975年の2万1123ヘクタールから1992年の5万3770ヘクタールへと増加している。

このような住宅の建設は、地方公共団体、住宅都市整備公団等公的機関のほか、民間のディベロツパー、建設会社によって都市の整備とあわせて行われてきた。経済、そして都市が成長していくには、民間ディベロツパー等によって都市の開発、住宅の建設、事務所・店舗等の建設がすすめられねばならなかったのである。

移住志向で持ち家を売却するニーズが高まる

移住志向で持ち家を売却するニーズが高まる

シニア層の移住二ーズ

シニア層の聞では持ち家を離れ、都心部のマンションや田舎で暮らしたい、あるいは高齢者向け住宅・施設に住み替えたいとのニーズが徐々に強まってきている。

団塊世代を対象に行った調査では、今後凶年間で移住を希望する人は東京圏で26%、大阪圏で21%に達した。現実に移住に踏み切るかどうかはともかく、潜在的には移住のニーズが高いことを示している。

シニア層が今住んでいる持ち家から離れ、都心部のマンションや田舎暮らし(田園居住)、あるいは高齢者向け賃貸住宅や高齢者向け施設などに住み替えようという希望を持っている場合、持ち家をどのようにして処分あるいは活用するかという問題が発生する。

子どもがその後に住むということも考えられるが、現在では子どもは子どもで、マンションや一戸建てなど持ち家を保有している場合が少なくない。またいずれは子どもが引き継ぐにしろ、仕事の都合で今は住めないということもある。

こうした場合、売却するのは一つの手段であるが、資産を手放すことには抵抗がある場合も多いし、売却で差益が出れば課税されるかもしれないという問題もある。

しかしだからといって、空き家にしたままでは、家が荒れてしまう。このようなケースにおいては、持ち家を賃貸住宅として貸し出すのが有効な活用方法と考えられる。家賃収入が得られるし、期限を区切って貸し出せば(定期借家契約)、いずれ自分が戻ってきたり、子どもが住もうと思った場合にも柔軟に対処できる。

今後高齢化が一段と進展し、リタイア後の時間も長くなる中、多種多様な住み替え需要が高まっていくにつれ、住み替えの際に、現に住んでいる持ち家を売却せずに有効に活用したいとするニーズが高まってくると考えられる。

持ち家ストックを賃貸住宅として活用することは、現在の居住ニーズと居住実態とのミスマッチを解消することにもつながる。現在の住宅所有構造を見ると、40歳以上の単身および夫婦の持ち家世帯の54%が100平方メートル以上の広い住宅に住む一方、4人以上世帯の持ち家の29%が100平方メートル未満というミスマッチが生じている。

つまり、単身・夫婦の高齢者が1人ないし2人で住むには広すぎる家に住んでいるのに対し、ファミリー層は持ち家であっても狭い住宅で我慢しているということにほかならない。

賃貸住宅に居住するケースでは、広く家賃が手頃な物件は少ないため、さらに狭い住宅で我慢しているという現状がある。これに対し、高齢者の持つ広い持ち家が、ファミリー向けの賃貸住宅として貸し出されるようになれば、こうしたミスマッチ解消の一助にもなると考えられる。一方、高齢者にとってはこれまでは売却するか空き家にするかの選択肢しかなかったものが、持ち家を賃貸住宅として貸し出すという新たな選択肢が生まれる上、持ち家を収益資産として利用できるということになる。

貸し手と借り手のマッチング

こうしたミスマッチを少しでも解消するため、2006年に移住・住みかえ支援機構が設立され、シニア層(50歳以上)のマイホーム(一戸建て、分譲マンションなど)を借り上げ、主として子育て層に転貸するという仕組みが作られた。

家賃は相場より1~2割安く設定され、貸し手には家賃から運営費(15%)を差し引いた額が支払われ、空き家となった場合も一定の賃料を保証される。3年単位の定期借家契約であるため、貸し手はいずれ自分が戻ってくることも容易である。

ただし、この仕組みを利用するためには耐震強度の条件を満たすことが必要で、例えば貸し手と想定される団塊世代の持ち家は旧耐震基準(1981年以前)のものが少なくなく、その場合、補強を行う費用が貸し手にとって負担になるのがネックである。

制度開始からこれまでに200件ほどの成約があり、この仕組みの利用はまだ多いとはいえないが、次第に関心が高まりつつあり、今後の利用拡大が期待されている。

一部鉄道会社では、移住・住みかえ支援機構と提携し、沿線で開発した住宅の住み替えの円滑化を狙う動きもある。南海電鉄は、1960年代から開発した大規模なニュータウン(大阪府南部の大阪狭山市や河内長野市など)の高齢化が進み、空き家が目立ち始めていることに危機感を持ち、2010年1月から機構と提携し、物件の活用を進めることで沿線の活性化を狙っている。

関東では、多摩ニュータウン沿線の京王電鉄が提携して変わる住宅市場いる。このほか、移住・住みかえ支援機構は、将来的に賃貸化できる優良な住宅ストックを増やすため、新築住宅の購入希望者に対し、機構が認定するメーカーを紹介する試みを開始した。機構による「移住・住みかえ支援適合住宅制度」の認定を受けた企業の建築した住宅ならば、機構が住宅を借り上げる際、耐震性などの診断を省略できる、貸し手の年齢制限もなくなるなどのメリットがある。ただし、紹介するメーカーは、大手メーカーなど9杜(10年9月現在)に限られている。

空き家パンクの設立

一方、それまで住んでいた人が死去したり他に移ったりすることで、すでに空き家となってしまった住宅については、行政が「空き家パンク」などの仕組みを作ることで、新たな住人を呼び込もうとする動きがある。例えば山梨市の空き家パンクは、郊外の空き家が目立つ状態となった町年に設立された。空き家パンクでは、家主から物件登録の申し出があると、建物を検査した上ホームページなどで物件情報を公開する。物件の紹介を受ける場合は、山梨市への定住を希望していることなどを条件に、事前登録が必要となる。「空き家パンク」は、賃貸のみならず、売買の仲介も行っており、これまでに合わせて50件ほどの成約実績がある。こうした取り組みは全国各地で進められている。

持ち家リース事業の可能性

これまで述べてきたように、シニア層の持ち家の流動化は、公的な機関が主体になっているのが現状で、成約実績はこれまでのところ多いとはいえない。しかし今後については、さらに高齢化が進み、シニア層が持ち家を有効活用しようとするニーズがさらに顕在化していく一方、若年層で一軒家の賃貸を好む層が増えていけば、持ち家の賃貸化は「持ち家リース事業」として成り立っていく可能性もある。持ち家リース事業には、シニア層の住み替え先の支援(都心・田園居住、高齢者向け住宅など)から始まり、その後の持ち家の賃貸化に必要なリフォーム、入居者の確保、家賃徴収などの管理、メンテナンスなど関連する様々な業務が発生する。すでに、空き家となった一軒家をシェアハウスに転用する事業に関しては、こうした業務の一部を請け負う業者が出現している。第1章の住宅ストックの節でも述べたが、シェアハウスとは、独立した個室を持ちながら、リビングやキッチンなどを共有するタイプの賃貸住宅である。男女を含め見知らぬ人同士が入居するが、互いの交流を楽しめる点が、プライバシーよりはコミュニケーションを重視する若者にとって魅力となっている。シェアハウスは、古い社宅や独身寮、下宿などを改装して造られる場合が多いが、大きめの一軒家を改装して造る場合もある。一軒家の場合は、古い物件の特徴を前面に出した改装を行いやすく、社宅などを改装した物件と一味違うのが魅力となっている。

不動産市場の変化で見える査定方法

建売住宅を牽引したパワーピルダー

戸建て住宅は、注文住宅と建売住宅(分譲戸建て)に大別できる。近年の住宅市場では、注文住宅が減少傾向にある一方、首都圏を中心に建売住宅が増加傾向を示してきた。これは、建売住宅を大量に供給するパワーピルダーが台頭してきたことが大きい。

パワーピルダーとは低価格の建売住宅を大量に供給する住宅販売会社である。パワーピルダーは郊外を主戦場として、初めて住宅を取得する子どもを持つ若い夫婦などをターゲットに、土地100平方メートル程度の割安な住宅を数戸から数十戸単位で供給することで成長を遂げてきた。

間取りなど規格を統一し、プレカット材(設計図に従って工場であらかじめカットした木材)を多用したり、資材の一括仕入れ、工期短縮による資金の回転率向上を図ることなどにより、低コスト化を実現し、価格的には分譲マンションと競合する。

分譲マンションとそう変わらない値段で二戸建てを取得できるということで人気を博した。低価格だから品質が劣るということではなく、パワーピルダーの分譲する建売住宅の多くは、住宅性能評価を受けている。

パワーピルダーの主な企業としては、「飯田グループ」と呼ばれる一建設(東京)、東栄住宅(東京)、飯田産業(東京)、アーネストワン(東京)、タクトホーム(東京)が上位を占め、このほか、城南建設(神奈川)、アイダ設計(埼玉)、センチュリーホーム(茨城)などが知られている。

低価格かっ高品質の建売住宅は、団塊ジュニア(おおむね1970~74年生まれの世代)など若年層にも広く受け入れられ、パワ一ピルダ一が成長する大きな要因になった。

団塊ジュニア世代の持ち家志向は強く、例えば2005年時点の調査を見ると、「どちらかといえば持ち家」まで含めれば9割以上が持ち家志向となっており(長谷工ア一ベスト調べ)、パワ一ピルダ一にとっては重要な顧客となったことが推察できる。パワ一ピルダ一は、徹底したコスト管理によって建物価格のロ一コスト化を図ったが、土地の仕入れについては、建売住宅として確実に売れる立地にこだわってきた。

このため土地で利益を出すことは考慮せず、良い土地があれば担当者が即断即決で高値でも買い付け、競合他社との仕入れ競争に打ち勝ってきた。こうした買い付けの姿勢により、地元の不動産業者が入手した土地情報がいち早くパワlピルダlに伝えられるようにもなり、仕入れで有利な状況を確立するに至った。

不況からもいち早く脱却

こうして増加を続けてきた建売住宅であるが、07年以降は減少に転じた。当時の景気拡大の長期化に伴い、地価や資材価格が上がり、住宅価格が上昇したことが、需要に水を差したためである。

さらに、リーマン・ショック以降は、地価や資材価格が下落に転じたため、業者が用地を仕入れるには好都合となったものの、景気の落ち込みで雇用や所得に対する不安が高まったことから、引き続き建売住宅の供給は低迷した。

景気の悪化はパワーピルダーにとって大きな逆風となり業績悪化を招いたが、リーマン・ショック後は、高値で仕入れた土地に建てた住宅を大幅に値引きして販売し、早めに損切りして身軽になる戦略に舵を切ったことが奏功した。

損切りするとともに、不況により大幅に値下がりした土地の仕入れを行い、割安な建売住宅を販売することで、需要を掘り起こした。リーマン・ショック後は、価格面でパワーピルダーと競合するマンション業者は、多くの売れ残りを抱え、新規の開発に乗り出せなかったが、それを尻目にパワーピルダーは供給を増やし、それまでマンション購入を検討していた層に食い込むことに成功した。

こうしたすばやい戦略転換ができた背景には、パワ1ピルダーが土地の仕入れから販売して現金化するまで最速で416カ月という極めて速いビジネス展開を行っていることがある(分譲マンシヨンの場合は日カ月程度)。

回転が速いことから、地価下落局面において、結果として現に分譲している建売住宅の土地仕入れ価格がやや割高なものになったとしても、そのことで収益が圧迫されるリスクは少なくなる。

この点でパワーピルダーのビジネスモデルは、デフレ下で利益を出しやすい構造となっている。また、分議マンションは開発に多額の資金を要し、不況下で大量の在庫を抱える中、資金調達が困難になったのに対し、パワーピルダーはもともと事業資金が少なくて済む上、回転の速いビジネス展開によって上がってきた現金を仕入れに回すことで、借金を増やさずに済んだ。

こうした形で、不況下で業績が悪化した住宅業界で、パワーピルダーはいち早く回復を遂げた。しかし、景気が回復し地価が上昇に入る局面では、建売住宅の開発に時間がかかる大手ハウスメーカーも利益を出しやすい環境となる。こうした局面では、土地の仕入れについて競合が激しくなっていくことが予想される。

注文住宅の二極化

一方、戸建て住宅のうち注文住宅については、地方における新規の需要と、建て替え需要のウェートが大きい。持ち家の再建築率(前の持ち家を壊して同じ敷地に着工した持ち家の全体の住宅着工に占める割合)は全国で四%で、この数値は都市部で高くなっている。

都市部では建て替えの際、二世帯住宅にしたいとする希望が多い。また、敷地が広く、駅に近くて利便性が高いといった条件を満たす場合には、賃貸併用住宅に建て替えたいとする希望も少なくなく、保有土地の有効活用を考える人が多いことを示している。

このため、大手メーカーはこうした需要に応える商品企画を積極的に提案している。また、最近は、太陽光発電や家庭用燃料電池を搭載した商品が人気で、大手メーカーについては住宅価格が値崩れする状況にはなっていない。

しかし一方では、近年のパワーピルダーの台頭や、注文住宅の分野でもローコストを売り物にしたメーカーがシェアを拡大させたことに刺激されるように、大手メーカーでも団塊ジュニアやその下の世代である団塊ジュニアネクスト向けに、コンパクト化、規格化を図った低価格商品を投入する動きが出ている。このほか注文住宅ではネット販売によってコストを引き下げる動きもある。

注文住宅の営業は、住宅展示場のモデルハウスに潜在顧客を呼び込み、アンケートに答えてくれた人をターゲットに営業を展開するというのが一つの方法であるが、営業担当者の来訪や電話を煩わしく感じる人は少なくない。また、自分のペースでゆっくりと検討できないなどの不満も生じる。

インターネットによる販売でこうした不満を解消し、同時に、住宅建設コストを下げようという試みが広がっている。その草分けがエス・パイ・エル「ネット白すまい」であるが、このサイトでは550種類の間取りプランが用意され、そこから好きなものを選ぴ、オプションも含めた見積もりを積算できる。

この商品では営業担当者は自宅を訪問せず、Eメールでのやり取りや、必要に応じ相談会に赴くことになる。住宅展示場はないが、引き渡し前の家を見学する機会はある。検討した上、納得したら申込金(10万円)を支払って、詳細見積もりゃ敷地調査を依頼する。ネット販売では申し込みまでの手順をネットで済ませるということになる。

モデルハウスのコストや営業コストを節約でき、自由設計ではなく決められたプランから選ぶため、同程度の注文住宅より数百万円は安く、01年の開始時からこれまでに2000棟以上販売している。このほか、ミサワホーム、三井ホーム、パナホーム、アイフルホームなどもネット販売を行っている。こうした営業手法は、今後、一つのやり方として定着していくと考えられる。

このように注文住宅の分野でも、従来の発想を超えてコンパクト化や規格化、低価格化を図ったり、ネットの活用などを行うことにより価格破壊を進め、不況下において若年層などの需要を取り込もうとする動きが活発化しており、高級路線との二極化が進んでいる。